これまでの歩み
新園舎時代
戦後増加の一途をたどっていた子どもの数も落ち着き、むしろ三軒茶屋地域では児童数が減少傾向に転じていました。世田谷区内75の私立幼稚園は、それぞれに幼児人口減少という困難な時代に向けて対応が迫られていたのです。再任された5代園長ピンチ神父の決断により、みょうじょう幼稚園は開園25周年を機に、3階建の新園舎を建設するという新たな時代への備えを行いました。
こうして1979(昭和54)年9月、鉄筋コンクリート3階建の強靭な園舎が落成式を迎えました。(建設後20年を経た時点での耐震検査でも特に補強工事の必要がないという評価を得た強靭さです。)
二度の園舎建設という大事業を行ったピンチ園長が7月に病で帰天され、富山の明星幼稚園園長であったジョバンニ・プッチ神父が6代園長に就任されました。
主任教諭は発展期を支えてきた高橋鈴子先生から、高橋由美先生へとバトンが渡されました。
こうして1979(昭和54)年9月、鉄筋コンクリート3階建の強靭な園舎が落成式を迎えました。(建設後20年を経た時点での耐震検査でも特に補強工事の必要がないという評価を得た強靭さです。)
二度の園舎建設という大事業を行ったピンチ園長が7月に病で帰天され、富山の明星幼稚園園長であったジョバンニ・プッチ神父が6代園長に就任されました。
主任教諭は発展期を支えてきた高橋鈴子先生から、高橋由美先生へとバトンが渡されました。
1971(昭和46)年 | 主任高橋鈴子 |
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1973(昭和48)年 | ピンチ園長 |
1979(昭和54)年 | 現園舎落成 |
1991(平成3)年 | プッチ園長 |
新園舎
わがまち1982.2.23
中央前列 6代園長プッチ神父、副園長松本神父、後方主任高橋由美先生