インフォメーション
今年の秋が楽しみです
2015/07/16
第1回 カリタスクラス 野菜たっぷりグラタンとハイビスカスハーブティー
2015/07/16
今年もロンゴ広場のやまももが豊作です
2015/06/20
毎日、籠にいっぱいの収穫となったやまもも。
甘酸っぱさと独特の触感がやみつきになっている子どもたちも。
6月の園庭にジューンベリーが
2015/06/16
入園式に可憐な白い花をたくさん咲かせたザイブリボクの木。ジューンベリーと呼ばれるとおり、6月になるとかわいらしい小さな赤い実をたくさんつけます。子どもたちも思わずパクパク。
6月の子どもたちの様子から
2015/06/01
ようやく子どもたちは、幼稚園での生活のリズムをつかみはじめ、自分の力で歩もうとしています。身支度、お仕事、お弁当、外遊びなど、様々な場面で子どもたちの真剣に取り組む姿が見られます。大人から見れば、その指使い、手の動かし方、身のこなし、足取り、どれをとってもたどたどしいものです。子どもの活動を見ていると、ひとつの動作には、こんなにも幾つもの行程があったのかと気づかされることがあります。大人ならひとつの流れのように簡単にしてしまう動作でも、子どもはその動きを習得するまでに、幾つもの行程に分けて、次は何だろうと考え巡らせ、ひとつひとつ積み重ねて完成させていくのです。ご家庭におかれましても、お子さまの動きが止まった時、すぐに言葉をかけたり、手を貸したりせずに待ってみましょう。
きっと、お子さまは見たこと、聞いたこと、経験したことを思い出しながら、一生懸命心の手を動かして思いを巡らしているはずです。大人の手を借りずに一人でできた時、それは大きな自信を得るとともに、自立への一歩となります。(文責 主任教諭)
父の日によせて
2015/06/01
父の日-それは父として生きることの決意を新たにする日
母親は受胎と同時に母子一体の状況を体験するので、「母になった」ことをすぐに自覚できます。しかし、父親は、いつ父になるのでしょうか? 妻から報告を受けたときでしょうか? 我が子を胸に抱いたときでしょうか? 父として生きることを決意した“時”に、その人は「父になる」のでしょう。母親のわが子に対する愛が情緒的であるのと異なり、父親のわが子に対する愛は意思の決断により芽生えていきます。子どもが成長していく中で、 「母親の役割は子どもをホールディングすること。父親の役割は子どもをハンドリングすること」と役割も異なります。必要な時に「父の一言」「父からの一喝」があって、子どもが「目を覚ます」ことができるもの。子どもの成長の折にふれ、父親の存在の確かさが、求められ、それに応えることで尊敬と信頼を勝ち取っていかれることでしょう。
アシュリー先生と英語で遊ぼう!
2015/05/16
5月の子どもたちの様子から
2015/05/01
「ママがいい!ママがいい!」。
4月当初、全身全霊で泣いていたお子さま方。5月に入り、次第に落ち着き始めましたが、本当はまだ心細い思いを必死に抑え、時々お母様を振り返りながら、それぞれの部屋に向かっていく姿が見られます。大人にとっては、すぐ目と鼻の先のエントランスからお部屋までの距離も。子どもにとってはどんなに長い廊下と感じているのでしょうか。
幼いながらに新しい環境に慣れようと、試練に立ち向かう子どもたちの姿には、自ら成長しようとする命の力強ささえ感じられます。子どもにとっての距離、高低、大小。子どもにとっての喜び、恐れ、心の傷。その感覚を私たち大人は、どれだけ自分の内に追体験できるものでしょうか。子どもの感性、感受性をそのまま同じように自分のものとし得なくても、子どもの目線に合わせて自分もしゃがんで周囲を見回し、その姿勢からその子と共有できる何かを感じられたらと思います。
日々繰り返される生活の中で、存分に吸収し、鍛え、身につけていく幼少期は、教育の可能性に富んだ大切な大切な時代です。大人がロールモデル(お手本)となって、他者を思いやり、正しい言葉を使い、丁寧な所作を見せながら、お子さま一人一人の歩みに寄り添って参りたいと思います。 (文責 主任教諭)
5月は 母であることの喜びと重さをかみしめる月
2015/05/01
5月は 母であることの喜びと重さをかみしめる月
カトリック幼稚園では聖母マリアを祈念する月
「わたしが代わってあげたい!」。
熱にうなされるわが子の額に手を置き、思わずそう発したことはありませんか?。独身時代には、思いもかけなかったこの感情。それは母性からのものでしょう。
父性が「切り開き解決する力」なら、母性は「受けとめる力」だと表現されます。
母なるものに受けとめてもらった体験は、心の安定の礎となっていきます。母性は幼子に心の基礎を与えてあげる役割があるのでしょう。
後に、「聖母」と呼ばれ、人々から崇敬を集めるマリアの生涯は、苦難に満ちたものでした。自分が苦労して産んだ息子イエスの十字架刑の場に立ち会い、何もできない無力な母親の姿をさらしました。きっと何度も、「わたしが代わりますから!」と叫びたかったことでしょう。悲劇的な出来事の中でも、自暴自棄になることなく、神の御旨(おぼしめし)は何かを思いめぐらし、自分の使命を誠実にけなげに果たそうとした女性-マリア。「受けとめる心」に満ちた聖母マリアはカトリックの伝統の中で、信仰者の模範として、苦境に生きる母たちの支えとして、尊敬され慕われてきたのです。
子どもの問題を解決してあげられない無力な母親だとがっかりした時には、むしろ「受けとめてあげる役割」こそが母として大切なことだと思い直してみてください。
園長就任のあいさつ
2015/04/01
ロンゴ広場のキューウィ棚には早くも多くの実がつき始めました。秋の収穫が楽しみですね。